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複雑な歴史をもつポーランド、シロンスク県

こんにちは、今日は曇り、ブログ訪問ありがとうございます。


ポーランドのシロンスク県は、複雑な地域で、


ある時は、ドイツだったり オーストリアだったり、


ロシアだったりする地域があります。


だから今現在はポーランドの国に属していますが、


昔の国の文化や話し方の 名残がミックスされて残っています。


単語がドイツ語から来ているものだったり、


ドイツや、オーストリア風の建物が残っています。

グルンヴァルトの戦い

 こんにちは、今日は快晴、ブログ訪問ありがとうございます。


ポーランドの歴史上で有名な戦いのうちのひとつ、


グルンヴァルトの戦いというのがあります。


1410年にポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団によって行われた戦いで、


この時ポーランド側が勝ったことで、


ヨーロッパで最大の領土をもったきっかけになりました。


ただポーランド対ドイツの戦いという単純な図式ではなく、


新しく王様を輩出することになったポーランドの王家ヤギェボと


ドイツ騎士団を疎ましく思っていたドイツから移住してきた商工の人が手を組み、


それまで王様を輩出してきたポーランドの王朝ビャスト朝がヤギェボを許すまじと


ドイツ騎士団と組み、戦争を行いました。


毎年、夏にグルンヴァルトの戦いのお祭りが開かれるそうです。

朝鮮からの疎開児童

 こんにちは、今日は快晴、ブログ訪問ありがとうございます。


妻の父の幼少時の話です。


義理の父はヤボジュノで生まれ、ヤボジュノの幼稚園に通っていました。


ある日、その幼稚園に、東洋人の児童の集団が入園してきたそうです。


その児童たちは集団になって、ポーランドの子たちとは


あまり交流を持とうとしなかったようです。


顔の特徴、その当時朝鮮戦争があったことや、


共産主義つながりで、北朝鮮からの疎開児童だったのでしょう。


義理の父は、北朝鮮の子に声をかけ、話しかけ始めました。


その中の1人の子と仲良くなり始めたのですが、


ある日突然、疎開児童の集団の姿がなくなったそうです。


義理の父は1950年生まれ、1953年に戦争は休戦したので、


国が落ち着いた頃に帰ってしまったのでしょう。


ヤボジュノは疎開児童が多かったそうです。

Jaworzno の名前の由来

 こんにちは、裏の庭の桜のつぼみが膨らみ始めました。ブログ訪問ありがとうございます。


私の住んでいる所、Jaworzno(ヤボジュノ)、


Jawor という木が多く茂っていたからこの名前が付けられたそうです。


案外簡単につけられたんですね。


私の田舎の青森もそんな感じでつけられています。


青い森の丘が見えたから付けられたという説があります。


地名の由来はそんなものかも。

Volksdeutsche フォルクスドイチュ

 こんにちは、今日も快晴、ブログ訪問ありがとうございます。


ちょっと歴史の暗部について紹介します。


第2次大戦中、ドイツの占領下のポーランドでは、


Volksdeutsche (フォルクスドイチュ)というものがあったそうです。


これは、ドイツ人かどうか宣誓する署名で、


ドイツ人と書いたら、身柄は保護され、


ドイツ人でなかったらその後は敵国の人民として扱われるものです。


第2次大戦前も、ドイツ人がポーランドに来て、


ポーランド人と結婚して住んでいたりしていたので、


踏み絵のようなものだったんですね。


ヤボジュノがあるシロンスク県のあたりは、


戦争がある度に、ポーランド領になったり、


ドイツ領になったりしているので、


住んでいる人も複雑に入り混じっていることでしょう。


例えば、ドイツ人と結婚していたポーランド人女性。


姓はドイツ人の名前なので、


フォルクスドイチュには、ドイツ人と署名できますし、


心がポーランドにあれば、署名しないでしょう。


ものすごい葛藤があったと思われます。


どちらを選んだとしても、戦争の極限状態での判断は、


今の平和な世の中の基準で、あーだこーだ言えるものではありません。


戦争での人間の狂気は止められる物ではないので、


そのような状態が起こらないことを願うばかりです。



ポーランドは中央ヨーロッパ

こんにちは、今日は晴れ、暖かい一日です。 


ポーランドは、東ヨーロッパに分類されるのでしょうか。 


ポーランド人はポーランドは中央ヨーロッパと言い返すでしょう。 


やはり、東ヨーロッパに区切られる国々とは、 違うと自負があるだろうし、 


地理的にもドイツのとなりでヨーロッパの中央に位置しているというし、 


14世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパで最も広い領土を持っていた国としての 


歴史も持っているからでしょう。 


同じスラブ系とくくられますが、ロシアと同じにされると怒ります。 


ポーランド人を侮辱する言葉の一つが、お前はロシア人と言う事だとか。

ヤボジュノの強制収容所 別館跡 

 こんにちは、今日も曇りのヤボジュノです。


第2次世界大戦時の強制収容所で有名なのは、


現在、負の遺産に認定されているアウシュビッツですが、


家から歩いて15分のところにも、


強制収容所別館跡の石碑がたてられています。


妻の祖母の話だと、彼女が小さい時、次々と人が連行されていったのを


見たといいます。


ヒトラーの犠牲者という意味です。


夜は街頭が暗いので、不気味。


施設跡地は現在、教育施設として使われているようです。


撮影した時は、建物リフォーム中でした。


負の遺産があるのに、戦争がなくならないのは残念なことです。

1 września 1939

 こんにちは、今日も曇り、涼しい一日です。


今日の一日が、特別な一日と感じるかは、国によって違うでしょう。


9月1日は、1939年にドイツがポーランドに侵攻した日です。


そこから、ポーランドの同盟国、イギリスやフランスが参戦し、


第2次世界大戦へ拡大しました。

各地でセレモニーが行われることでしょう。


テレビも歴史ドラマ、映画を中心に放映される予定です。

憲法を考える

 こんにちは、今日は、晴れ、相変わらず暑いです。


今日は憲法記念日で祝日ですが、


憲法というと、中学校のとき、憲法の条文を暗記した覚えがありますが、


憲法とは何かとは教わっていなかったと思います。


そう言われると憲法とは何なんでしょうか。


歴史を見るといろいろヒントをもらえます。


ポーランドだと初めて出来た憲法は、腐敗していく貴族を抑制するため出来たようです。


17世紀初頭まで貴族たちは結託してグループを作り、ポーランドを掌握していたようです。


諸外国と手を結んだ貴族たちは、自分たちの利権が危なくならないように


議会を通じて支配体制を作り上げたそうです。


この貴族たちは、拒否権と言う権利を行使して、議会で通った法律を


無しにしてしまう行為を繰り返し、議会を完全に麻痺させていったようです。


このような無政府状態を秩序立て、民主主義を取り戻す動きが


ヨーロッパ初のポーランド成文憲法成立の始まりのようです。


憲法とは、民衆が権力者に対する約束事と言えるのでしょう。


こちらの動画も明確に答えて参考になりました。


憲法は国民が守るものではないそうで、権力者、公務員が守るべきものだそうです。


と憲法を考えていくと、国民とは何か、国家とは何かと考えざるをえないですね。


憲法記念日

 こんにちは、今日は、恵みの雨が降っています。だいぶ涼しく感じます。


明日、5月3日はポーランドも憲法記念日。


1791年に5月3日に採択されたポーランド憲法、これはヨーロッパ初の成文憲法で


アメリカに次ぐ世界で2番目に出来た憲法だそうです。


当時、シュラフタというポーランド貴族の腐敗により、ヨーロッパ一の国であった


ポーランドも脆弱化。


貴族政治の欠点を取り除くため、市民と貴族を同じ位置に定めるものだったといいます。


が、この憲法採択が周辺国の警戒を招き、ロシア、プロイセンに攻め込まれることと


なったそうです。


その敗戦の結果、ポーランドは地図上から消えてしまいました。






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