朝鮮からの疎開児童

 こんにちは、今日は快晴、ブログ訪問ありがとうございます。妻の父の幼少時の話です。義理の父はヤボジュノで生まれ、ヤボジュノの幼稚園に通っていました。ある日、

 こんにちは、今日は快晴、ブログ訪問ありがとうございます。

妻の父の幼少時の話です。
義理の父はヤボジュノで生まれ、ヤボジュノの幼稚園に通っていました。
ある日、その幼稚園に、東洋人の児童の集団が入園してきたそうです。
その児童たちは集団になって、ポーランドの子たちとは
あまり交流を持とうとしなかったようです。
顔の特徴、その当時朝鮮戦争があったことや、
共産主義つながりで、北朝鮮からの疎開児童だったのでしょう。
義理の父は、北朝鮮の子に声をかけ、話しかけ始めました。
その中の1人の子と仲良くなり始めたのですが、
ある日突然、疎開児童の集団の姿がなくなったそうです。
義理の父は1950年生まれ、1953年に戦争は休戦したので、
国が落ち着いた頃に帰ってしまったのでしょう。
ヤボジュノは疎開児童が多かったそうです。

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